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よむとす No.300 戦国の信濃に思いを馳せる

[2023年7月15日]

ID:997

戦国の信濃に思いを馳せる

中央図書館 宮下 裕司

今年のNHK大河ドラマの主人公は徳川家康です。家康といえば戦国の世を終わらせた天下人ですが、家康が三河から領地を拡大していく過程で、その前に大きく立ちはだかったのは甲斐の武田信玄と勝頼親子でした。また、武田氏は甲斐の国だけではなく、当時の信濃の支配者でもありました。今回は、戦国時代の信濃を生きた武将たちの生涯に思いを馳せてみたいと思います。

『信濃の戦国武将たち』

『信濃の戦国武将たち』(別ウインドウで開く)
笹本 正治/著 宮帯出版社 2016年4月

信濃には、甲斐の武田、越後の上杉のような一国を束ねる大名はいませんでしたが、各地を治めた領主たちがいました。この本では、そうした領主たちが一族や家臣の運命を背負いながら、武田や織田、徳川といった勢力と時に争い、時に手を結びながら、戦乱の世を生きた記録が紹介されています。
武田氏と婚姻を結びながらも、信玄と争い自刃に追い込まれた諏方頼重。戦国最強といわれた武田軍を二度も破った村上義清。信玄に仕えて勢力を伸ばした真田幸綱(幸隆)と昌幸親子。信玄亡き後、武田氏の家臣から織田信長にくだって、武田家滅亡の大きな要因となった木曽義昌。彼らが代々どのような家柄であったかも踏まえて記されています。
飯田の人間としては、下伊奈の地にも縁の深い小笠原氏が特に印象に残りました。小笠原氏は信濃守護職を務めた名門でしたが、同族同士の内部対立により府中(松本)と松尾、鈴岡(ともに飯田)の間で抗争がありました。信玄の時代に松本平を治めていた小笠原長時は、諏方を落として、信濃侵攻を進める信玄に塩尻峠の合戦で敗北を喫します。その後、松本を追われた長時は下伊奈を経て、駿河へ逃れ、やがて三好長慶を頼って京都へ上ります。三好氏が滅びると、越後に逃れて上杉謙信の庇護を受けますが、その後、謙信が亡くなると会津若松へ流れ、信濃に戻ることなく最後を迎えます。しかし、小笠原氏は武田氏滅亡後に徳川家康の支援を得て松本の地へ帰り、その後も弓と礼法の名家として存続していくのは歴史の不思議さを感じさせます。※諏訪が諏方、下伊那が下伊奈となっているのは、本文の表記にしたがったものです。

『探訪信州の古城 ―城跡と古戦場を歩く―』

続いては、戦国の世を今に伝える城跡の本です。武将たちの合戦の舞台となった城跡を縄張図や鳥瞰図と現在の写真なども交えて解説しています。『信濃の戦国武将たち』(別ウインドウで開く)でも触れられた松尾小笠原氏の本拠地松尾城と鈴岡小笠原氏の鈴岡城も紹介されています。また、図や写真だけではなく、そこで起きた合戦の概略も記されており、当時の戦の様子をより立体的に感じることができます。「伊那の合戦」の章では、武田信玄に最後まで抵抗した知久頼元の神之峰城(飯田市上久堅)の戦いもとりあげられています。
個人的には、先日立ち寄った松川町の大島城(現在の台城公園)が、武田信玄によって大改築されたことが記されており、深い堀や天竜川に面した断崖など思い浮かべて楽しむことができました。

どちらの本も、読んでから訪れてもよし、訪れてから読んでもよし。身近な場所で歴史を感じてみませんか。

よむとす

「よむとす」とは“読む“と“~せむとす”(ムトス)を合わせた造語です。

飯田市におけるムトスの精神を生かし、読むことにかかわる活動の推進と支援を目的とした読書活動推進の合言葉です。