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よむとす No.294 旅日記

[2023年4月15日]

ID:980

旅日記

中央図書館 瀧本 明子

今私たちはどこかへ出かけるとき、すぐに車に乗ってしまいます。飯田駅が開業したのが100年前。以降急速に、人をとりまく時間の流れが変わってきたのではないでしょうか。
どこへ行くにも歩くしかなかった時代の旅はいったいどんなものだったのか。時代劇などで旅姿を見ると、ほんのわずかの荷物を体に縛りつけて歩いています。あんなに少しの荷物で大丈夫だったのかといつも思います。今回は、エンピツも消しゴムもない時代の人たちが残した旅日記をご紹介します。

『菅江真澄 図絵の旅』

『菅江真澄 図絵の旅』(別ウインドウで開く)
菅江真澄 石井正己/編・解説 角川ソフィア文庫 2023年1月

江戸時代に生き「漂泊の人」といわれる菅江真澄は、天明3(1783)年30歳の時、三河を出発し信濃を通り、北陸、東北、北海道と46年もの間各地を訪ね歩き、風景や暮らしの様子、民俗行事など見たもの聞いたことを和歌や図絵も含め書き残しました。図絵を豊富に掲載しているこの本の絵と解説を読んでいると、行く先々で多くのものに興味を持ち、人とふれあいながら旅を続けた真澄に親しみがわいてきます。
その旅の一番初めの記録が残されているのがこの飯田周辺の地です。1928年には柳田国男校訂により『伊那の中路-眞澄遊覧記ー』(別ウインドウで開く)(眞澄遊覧記刊行会)が発行され、真澄の旅が多くの人に知られることとなりました。風越山の桜を見、翌日は龍坂の桜を右に見左に見て下り、その翌日は天龍川の河原へ。愛宕坂も下っています。240年前、菅江真澄が歩いた飯田はいったいどんな景色だったのでしょう。1枚だけ、満開の桜が咲く風越山の絵が残されています。白山権現の鳥居や何件かの家、右下にはちらりと飯田の家並も見える細やかで美しい絵です。

『近世の女旅日記事典』

『近世の女旅日記事典』(別ウインドウで開く)
柴 恵子 /著 東京堂出版 2005年9月

江戸時代、女たちもさまざまな理由で旅をして日記を残しています。
前半部分は旅日記の内容と書いた女性の紹介で、松尾多勢子が、京へ上って勤皇家として活動した時のことを書いた『都のつと』(別ウインドウで開く)や森本都々子が浜松へ里帰りした時の旅日記『遠江夢路日記』(別ウインドウで開く)も紹介されています。
後半部分は、旅した女たちが見た街道の様子や旅の苦労や楽しさが紹介されています。中山道妻籠宿近くでは、木曽の材木を大勢が鳶口で谷川へ流すのを物珍しく見たり、坂道で痛くなった足に効く狐から教わったという妙薬を買ってみたり。女改めが厳しい木曽福島関所を避けるため、大平街道を通って飯田へ入ったが、のぼり下りが大変な難所であったこと、太田切川の川越は命がけで神仏に手を合わせて渡ったことなどなど。
苦労ばかりではなく、今まで見たことのない景色を楽しんだり、道連れができてさらにあちらこちらに足をのばして参詣したり。旅人を迎える方も、おおらかに迎え、共にうたを詠んだり語り合って、別れを惜しんだりしています。

現在のように、誰もが旅に出られるわけではなかった時代、旅日記を残すことは、本人の記録というだけでなく、旅に出かけられない人たちにもそれを読んで、旅で見たこと聞いたことを一緒に分けあうものでもあったのだと思います。昔の人のようにどこまでも歩いて旅をすることはとてもできそうにありませんが、誰かが歩いた道をたどる旅ならできるかもしれません。

よむとす

「よむとす」とは“読む“と“~せむとす”(ムトス)を合わせた造語です。

飯田市におけるムトスの精神を生かし、読むことにかかわる活動の推進と支援を目的とした読書活動推進の合言葉です。