中央図書館 田中 文子
図書館の仕事を始めてから、虫好きになった。世の中には昆虫の本がたくさんある。専門書はもちろんだが、“学者ではない人たちが虫とともに過ごす生活”…素人の私には、これが何とも面白い。人間が朝起きてご飯食べて働いて眠ってを繰り返すように、おけらだって、あめんぼだって、毎日を生きているのだ。
少年少女時代、虹色の輝きに目を輝かせた人も多いのではないだろうか。初めて見た時は、私も「自然界にこんな色があるのか!」とびっくりした(ちなみに首の無い死骸であった…)。
タマムシの本は少ない。図鑑はあるが、読み物はほぼ無い。無いので自分で作ったのが、著者の芦澤氏である。
長年の判子屋を廃業後、玉虫研究所を立ち上げた。飼育しながら、成虫の寿命は数か月しかない、足に吸盤がある、水を飲まない、などの生態を探っていった。随所に挟まれる、こぼれ話も楽しい1冊。飼育するために大量のタマムシが欲しくて、農協の有線放送で呼びかけたというから仰天だ…。
比叡山のふもとの田舎道。著者は、きゃべつ畑の写生中に、あしなが蜂の女王に出会う。住みかを探してみるが、見当たらない。ある日、農具を入れる納屋の天井の梁に、びっしりと並ぶ60もの巣が…!「あしなが蜂の団地」に出会った。
女王蜂が捕らえた餌を噛み砕き、丁寧に足で肉団子に整えていく様子や、産卵に向けて小さな部屋を増やしていく様子…毎日観ているうち、どの蜂がどの巣の女王か、見分けがつくようになったという。
麦わら帽子がトレードマークの著者は、草と生きものを見つめ続け、御年90歳の絵本作家だ。納屋の女主人の京ことばや、寝床を貸してくれた喫茶店店主との触れ合いは、映画のワンシーンのよう。柔らかい語り口で、まるで物語を読んでいるかのような優しいエッセイである。
腹這いになり、むっと口をつぐんで草むらを観察する、丸い瞳のおじいさん…口絵の写真に登場する著者はそんな姿。虫と同じ高さの目線を大事に、98歳まで描き続けた生物画家である。
細密画1枚ずつにかかる時間は膨大で、生活は困窮したが、自然の美しさひとつひとつを言葉に残し、絵にあらわした。「うそやごまかしがないように描くのは、小さな人たちに見てもらうため」。この真摯な姿勢に寄り添っていた妻のすぎ子さんが、「うちはビンボーだけれど、暗くじめじめしたところがまったくない」と言っているのが素敵だ。
この本は、彼の語録ノートを元に作られた。そのうちのひとつ。
「あせっても春は来ないし 忘れていても春は来る 自然はきわめて自然である。」明日が楽しみになる言葉だ。
「よむとす」とは“読む“と“~せむとす”(ムトス)を合わせた造語です。
飯田市におけるムトスの精神を生かし、読むことにかかわる活動の推進と支援を目的とした読書活動推進の合言葉です。