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よむとす No.210 生きづらさを抱えて

[2019年10月15日]

ID:703

生きづらさを抱えて

中央図書館 田中 瑞絵

 

“ディスレクシア”という言葉を聞いたことがありますか?

ディスレクシアとはLD(学習障害)の一種で、一般的な理解能力などに特に異常がないにもかかわらず、文字の読み書きに著しい困難を抱える障害のことで、難読症、識字障害、読字障害、読み書き障害などとも言われます。日本では人口の約4.5%がディスレクシアだと言われていますが、ディスレクシアは一人一人症状に違いがあり、それぞれが抱える困難にも違いがあります。理解能力などには異常がないために、本人の努力や意欲が足らないと誤解を受けるケースも多いようです。著名人の中には、ディスレクシアを公表している人達もおり、ハリウッド俳優のトム・クルーズや、映画監督のスティーブン・スピルバーグ監督もそのうちの一人です。

今回は、ディスレクシアに関わる本を紹介したいと思います。


『僕は、字が読めない。 読字障害と戦いつづけた南雲明彦の24年』

私がディスレクシアの事を知ったのは、この南雲明彦さんのことを扱ったテレビ番組を見たときでした。読み書きができないという事がこれほどまでに辛いことなのかと、自分の想像を超える壮絶な人生に衝撃を受けました。

この本には、そんな南雲さんのディスレクシアとの戦いの日々が記されています。

南雲さんが自分のディスレクシアを知ったのは21歳の時。幼い頃から読み書きの困難を抱え、10代の頃には、「皆にできることが、なぜ自分にだけできないのか?」という自己への嫌悪感や将来の不安などから、自傷行為や家庭内暴力を繰り返し、荒れた日々を送ります。バイト先や就職先でも、研修の際にメモ書きさえすることができず、怠慢な人間はいらないと言われてしまいます。

こんな自分でも、人の役に立つことがしたいと訪れたNPO法人で、これまで自分を苦しめてきた、得体の知れない生きにくさの正体がディスレクシアである事を知るのです。

自分の生きづらさの正体を知った南雲さんは、ディスレクシアである事を公表し、自分の経験を語る事で同じような生きづらさを感じている人達の力になりたいと活動しています。南雲さんの願いは、皆が違う事を認め合い、共生できる社会になる事。ディスレクシアに限らず、他の人の困難や生きづらさを理解するのは大変に難しいことです。しかし、今目の前にいる人が何が好きで何が嫌いか、何が得意で何が不得意なのかを知る、その“人”を知るという事こそが、理解や支援につながる一歩だと教えられる本です。


『きみの存在を意識する』

『きみの存在を意識する』(別ウインドウで開く)

梨屋アリエ/著  ポプラ社  2019年8月



この小説の主人公は、同じ中学に通う2年生の生徒達です。

本を読むことに困難を感じているディスレクシアの子、見た目は男の子のようだけれど、性別は女の子。でも、女と呼ばれることにも男と呼ばれることにも抵抗を感じている子、書字障害を抱えており、学校に配慮を求めるが理解してもらえない子、両親と死別し、血のつながらない家族の養子となった子、親友が過敏症のため別室登校するようになり、その関係に悩む子など、さまざまな生きづらさを抱えて生きる子ども達を、それぞれの視点から描いた連作の短編集です。

クラスで困った行動をとる子にそうせざるを得ない事情があったり、何も問題を抱えていない様に見える子にも「もうどうにもならない」と思い悩む夜があったり、視点を変えてみれば、それぞれに悩み、苦しみ、葛藤しながら同じように生きづらさを感じて日々を過ごしています。他の人と同じじゃない自分、自分とは違っている誰か。お互いの立場を意識し、考え、受け入れる事で何かが変わってきます。

作者の梨屋アリエさんは、自身もディスレクシアを抱える作家です。近年ではパソコンなども普及し、ディスレクシアも広く知られるようになってきましたが、作者の子ども時代には、まだディスレクシアという言葉さえ知られておらず、支援や配慮もない中、さまざまな苦労を重ねながら、ここに登場する子ども達のように、生きづらい日々を生きてきたのだと思います。そんな作者だからこそ描ける世界なのかもしれません。


よむとす

「よむとす」とは“読む“と“~せむとす”(ムトス)を合わせた造語です。

飯田市におけるムトスの精神を生かし、読むことにかかわる活動の推進と支援を目的とした読書活動推進の合言葉です。