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よむとす No.183 それぞれの「環世界」

[2018年9月1日]

ID:589

それぞれの「環世界」

上郷図書館 矢澤恵

 

「環世界」とは、「すべての生き物はその種に特有の知覚によって世界を認識している」という生物学の概念です。例えばマダニには視覚と聴覚は存在せず、嗅覚・触覚・温度感覚が発達しているそうです。光や音はなく、匂いや触ることで感じる世界はどんな風なんでしょうか?

このことは、人間同士でも一緒ではないでしょうか。知覚(五感)からの情報、知識、育った環境、それぞれによって世界の認識が違うのは当然です。世界の認識が変わったと思えた本を紹介します。


『ノモレ』

『ノモレ』(別ウインドウで開く) 

国分 拓/著 新潮社 2018年6月

テレビやインターネットで、世界中の情報が一瞬でみられる現代ですが、今なお、南米アマゾン川上流のジャングルには文明社会と接触したことがない種族がいます。そんな先住民を総称して「イゾラド」と呼ぶそうです。この本の著者はNHKのディレクターで、アマゾン川流域の取材をもとに書かれたノンフィクションです。

ペルーでも、文明に未接触の人はもういないと思われてきましたが、2010年代になって「イゾラド」の目撃情報が寄せられ、トラブルが起こります。彼らを保護するべきか、警戒するべきか。資源目当ての不法侵入者に殺されたり、病気に対する免疫がないため、文明人と接触することで部族がまるごと絶滅したり。ブラジルでは西欧の人がやってきてからの500年で、90%以上の先住民が失われたといいます。このままでは瞬く間に絶滅してしまうだろう彼らの生存を守るためにはどうすればいいのか、本の中で繰り返し問われます。

主人公は「イゾラド」と信頼関係を築こうと奔走する、自身も先住民族のロメウという人物です。ロメウは「イゾラド」達と、だいたい言葉が通じます。しかし、言葉は通じても意思の疎通ができない。信頼関係も築けません。それは、現代社会を生きる側と、彼らとの「環世界」がまるきり違っているからに他なりません。価値観も倫理観も、自然の捉え方も違うのでしょう。

同じ著者の前作『ヤノマミ』(別ウインドウで開く)(NHK出版、2010年)では、文明社会と多少の接触はありますが、ジャングルの中で伝統的な暮らしを続ける部族を描きます。著者は彼らの集落で150日余り生活を共にします。命の危険さえ感じながら一緒に暮らす中で見えてきた、価値観や倫理観。彼らはどんな世界の中を生きているのか。

この2冊の本を読んで、私達の世界では常識と思っていた価値観が覆され、絶対と思っていた生と死の倫理でさえ揺らいでくる感覚を覚えました。世界の見方が大きく変わる本です。


『目の見えない人は世界をどう見ているのか』

基本的に私たちは五感から情報を得て世界を認識しています。中でもその8~9割を視覚に依存していると言われています。では、その視覚がなかったら? 視覚なしで捉える世界はどんなでしょう。

この本で印象に残ったのは、「視覚がないから死角がない」という言葉です。目の見える人には死角がたくさんあります。まず、背中側は見えません。物の陰になったところも認識できません。ですが、視覚情報のない人たちにとって得られる情報は全方向からになります。見えない人の方が、俯瞰的で三次元的にイメージすると書かれています。

「目からの情報が欠けている」と考えるのではなく、「元々、視覚情報のない世界」に生きているという考え方に、なるほどと思いました。


『みえるとか みえないとか』

『みえるとか みえないとか』(別ウインドウで開く)

ヨシタケシンスケ/さく 伊藤亜紗/そうだん アリス館 2018年7月

こちらは、前述の伊藤亜紗さんの本がきっかけとなって作られた絵本です。「人と違う」ということを、ヨシタケシンスケらしくひとひねりして、わかりやすく書いてあります。

主人公は宇宙飛行士。いろんな星を訪問して、さまざまな宇宙人に出会います。

まず始めは、頭の上に目が3つある宇宙人。全方向を見ることができます。

「え?キミ、後ろが見えないの?」「かわいそうだから、背中の話はしないであげよう」と憐れまれ、歩くと「すごーい!ちゃんと歩いている」と驚かれる。

でも、「背の高い人と低い人だって見え方がちがうよね。それぞれの特徴で世界の捉え方は違うけれど、違うことを個性としてお互いに理解し合おうよ」ということが、すんなりと伝わってきます。


よむとす

「よむとす」とは“読む“と“~せむとす”(ムトス)を合わせた造語です。

飯田市におけるムトスの精神を生かし、読むことにかかわる活動の推進と支援を目的とした読書活動推進の合言葉です。