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よむとす No.258 「見えない」ことで「見えてくるもの」

[2021年10月15日]

ID:875

「見えない」ことで「見えてくるもの」

中央図書館 寺沢 しのぶ

 

金木犀の香りが風に運ばれて秋の気配を感じます。そのうちに山々が色づきはじめ伊那谷が美しい季節となります。ゆっくりとした秋の夜長にこんな本はいかがでしょうか。


『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』

『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(別ウインドウで開く)

川内 有緒/著 集英社インターナショナル 2021年


この本はあるラジオ番組で紹介されていて、ぜひ読みたいと思い手にとりました。

タイトルにあるように白鳥建二さんは、全く目が見えません。にもかかわらず年に何十回も美術館に通い作品鑑賞する美術鑑賞マニアです。そんな白鳥さんと著者が、多岐にわたる展覧会に赴き美術作品を鑑賞するようになったきっかけは、著者の古くからの友人マイティさんの「白鳥さんと作品みるとほんとに楽しいよ。今度一緒に行こうよ。」の一言からでした。

記念すべき白鳥さんと巡る最初の展覧会は、三菱一号館美術館で開催されたアメリカの富豪ダンカン・フィリップスによって作られた、印象派からキュビズムを中心とした一大コレクション「フィリップス・コレクション展」でした。「見えないひと」がどうやって作品を「見る」の?著者もはじめは意味が分からず、「触ったりする体験型?それともオーラを感じる?はたまた超能力的の領域?」とさまざまな疑問に包まれながらも、美術館に向かいます。

まず最初の鑑賞に選んだのはピエール・ボナール(1867~1947)の《犬を抱いた女》(1922年)でした。絵を前にして白鳥さんはこう言います。「じゃあ、なにが見えるか教えてください」著者はこの瞬間「彼は『耳』で見るのだ。」と理解します。そこで著者は文字通り目に入ったものを描写しはじめます。

「ひとりの女性が犬を抱いて座っているんだけど、犬の後頭部をやたらと見ています。犬にシラミがいるかどうか見ているのかな。」という著者の言葉に対して、マイティさんは「わたしには、この女性はなにも見てないように見えるな。視点が定まってない感じ。だってテーブの上に食べ物があるでしょう。食べている途中に考えごとを始めちゃって、食事が手につかないんじゃないかな。」その後もふたりは思ったことを次々に言葉にしていきます。不思議なことに同じ絵を見ているにもかかわらず、ふたりの絵にたいする印象はまったく違ったものでした。白鳥さんはふたりの会話に耳を傾けます。絵に対する正しい解説が聞きたいのではなく、「見えない」自分に「見えるひと」の目を通して見えるものを感じたいようでした。時には言葉に詰まる場面もありました。ピカソの作品です。そんな時でも白鳥さんは「ふたりが混乱している様子が面白い」と話します。

 また「見えるひと」にとっても「見えない」白鳥さんと作品鑑賞をすると思わぬ収穫があります。白鳥さんが美術鑑賞をはじめたばかりで、自ら美術館に電話していた頃のことです。名古屋の松坂屋美術館で男性スタッフにアテンドしてもらい印象派の作品展を鑑賞していた時、ある作品の前で男性スタッフは「湖があります。」と説明したあと「あれ!すみません、黄色い点々があるのでこれは湖ではなくきっと原っぱです。」と訂正し、その男性は「何度もその作品を見ているはずなのに、ずっと湖だと思い込んでた」と驚きます。「見える人」は「見えない」白鳥さんと鑑賞することで自分の思い込みや勘違いに気づかされ、より深く作品を鑑賞することができるのです。この本から「見えない」白鳥さんを通して、美術鑑賞のみならず障害者を取り巻くものや、そこにある差別や偏見などが見えてきます。まさに「見えない」ことで「見えてくる」のです。

みなさんもぜひ読んでみてください。なにか「見える」かもしれません。

よむとす

「よむとす」とは“読む“と“~せむとす”(ムトス)を合わせた造語です。

飯田市におけるムトスの精神を生かし、読むことにかかわる活動の推進と支援を目的とした読書活動推進の合言葉です。