前回のよむとすに引き続き、コロナ禍で難しくなってしまった“誰かと会う”にちなんだおはなしを紹介します。
パリの植物園で、スケッチブックと赤いカバンを持ってあちこち飛び回る日本人の少女、さえら。立ち入り禁止の場所に入ったり池の魚を取ろうとしたりと大人たちの手をわずらわせ、ついには、植物園の花を引き抜いてしまいます。ところが、さえらはそこで出会った植物学者にひまわりの種をもらい育てることになります。ひまわりを育てながら、その植物学者とともにエンジュ、クズ、メタセコイヤ、クレマチスなどさまざまな植物と触れあいます。その姿は大人の手をわずらわせていた少女ではなく、植物園で働いている人のよう。
さまざまな植物や人と出会い、いろいろなことを吸収し、その経験が大きな木のようにさえらの中に根をはり、葉を茂らせていきます。
このおはなしの中に印象的な一文があります。
“人はみな心の中に、一本の木をもっている。”
木が時間をかけて大きくなっていくように、私も自分の心の中にある木を、さまざまなことを経験しながら大きく育てていきたいと思いました。
このおはなしを読んだみなさんが自分の中にある木を自分なりに育てていけたらいいなと思います。そして、さえらと一緒にいろいろな植物を見つけながら、絵本の中を自由に飛び回ってほしいです。
このシンプルなタイトルの絵本は、針金でできたこびとが身の回りにあるいろいろなものに出会い、その出会いの喜びをあらわしたおはなしです。
例えば、こびとは手袋と出会うとその中に入り、蚊取り線香と出会うとその上でぐるぐる回り、本と出会えば栞と一緒にはさまります。
みなさんがもしそのこびとだったら、どうするか、どうやって遊ぶかを想像しながら読んでみてください。
ちなみに私は、このおはなしには出てきませんが、体中が削りカスだらけになるのを覚悟して、鉛筆削り機の削りカスケースの中に飛び込んでみたいです。
最後に紹介するのは、もしこのどうぶつと会ったら……と想像が止まらないハリネズミのおはなし。(実際には会っていないのに。)
自分のハリのせいでどうぶつたちから嫌われていると思っているハリネズミは、今まで誰も自分の家に招待したことがありません。
だって……。
もし、ヒキガエルが来たら、一緒に紅茶を飲んだあと急に怒り出すかもしれない。
もし、サイが来たら、部屋の中だろうが外だろうが関係なく、踊りながら歌い挙句の果てには足を踏まれるかもしれない。
もし、クマが来たら、ハチミツかハチミツのケーキをどこかに隠してないか部屋中を探しまわるかもしれない。
もし、ダチョウが来たら、戸棚を見つけて引き出しを開けては、頭を突っ込んだり引っ込めたりするかもしれない。
何かに思い悩んでいるときの葛藤が、少しおもしろく、ときに切なく描かれています。身近な人、あるいは自分自身にそっくりのどうぶつが見つかるかもしれません。
いろいろな悩みや不安に思いあぐねているあなたにそっと寄り添ってくれる一冊です。
「よむとす」とは“読む“と“~せむとす”(ムトス)を合わせた造語です。
飯田市におけるムトスの精神を生かし、読むことにかかわる活動の推進と支援を目的とした読書活動推進の合言葉です。