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清内路煙草資料とは

[2017年6月26日]

ID:328

清内路煙草資料とは

清内路煙草を製造し販売した原澤喜之助(飯田町)関係の資料や書簡等657点を清内路の郷土史家桜井伴氏が収集し、昭和60年当館に寄贈された。小池貞彦氏の協力で整理、平成20年度公開。

原澤家商売

原澤 喜之助は明治21年煙草製造の鑑札を受け、営業を始めた。
「清内路村史 下巻」(清内路村史編纂委員会編 昭和57年刊)に下記のように記載有。
  製造工場の稼働日数140日 延べ稼動日数560日
  資本金400円 製品900貫 収益999円
 明治30年煙草の専売制度が法令化したが、明治30年代は製造と販売はかろうじて民間業者にゆだねられた時期であり、その間の過酷な時期の原澤家の製造・販売に苦慮したようすが伺える資料。村では明治42年を持って煙草耕作は廃耕となるが、その前明治38年の段階で、原澤家は煙草製造販売から大豆や炭・海産物商いに転換していった様子が資料 から読み取れる。

原澤家移転履歴

飯田町1077番地(現松尾町)から清内路 桜井宅十方に寄留し、M23.6.26清内路村桜井作治郎方に寄留。その後飯田町大横町へ移転。飯田の今昔屋並帳」(村沢武夫著)に原澤砂糖店と記載がある。

資料に見る原澤喜之助家係累

妻はおぎん 養祖母は原澤とや 兄は吉澤新兵衛でその子に吉澤久太郎・吉澤久七郎・吉澤文次郎・吉澤あさ
甥に市瀬俊太郎と田中忠二郎がおり、忠二郎は[清内路田中商店]を経営。その妹は久子。田中忠二郎はのちに東京浅草へ。