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よむとす No.115 大切な図書をまもったひとたち 2015年10月15日

[2017年6月8日]

ID:166

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大切な図書をまもったひとたち

中央図書館 瀧本 明子

図書館にはおおぜいの方が、さまざまな事柄について調べにみえます。ご先祖様さがしや飯田の歴史について調べにみえる方も数多くいらっしゃいます。図書館は郷土に関する本や冊子、パンフレット等々、この飯田にしかない資料を地域の大切な財産と考え、購入したり寄贈いただいたりして集めて、永久に保存、提供していく機関です。
昭和22年の飯田大火のとき、幸い図書館は災禍を逃れました。もしあのとき図書館まで火の手が伸びていたら、堀氏が所蔵していた貴重な古書も、飯田の歴史を記録した古文書も、市民の皆さんが図書館の充実のためにと寄贈して下さった本たちも、さまざまな本や資料が焼けてしまっていたら…。想像しただけでも恐ろしくなります。蔵書は図書館の命です。街中で火事で焼けてしまったなかにも貴重な資料がたくさんあったことでしょう。
今秋、戦火から芸術品を守った映画「ミケランジェロ・プロジェクト」が日本でも公開になりますが、今回のよむとすでは戦争中、命がけで図書を守ったひとたちを紹介します。

『疎開した四〇万冊の図書』

太平洋戦争末期、東京への空襲がはじまりました。戦況の悪化のなか、各地の主な図書館では図書の疎開がはじまっており、都立日比谷図書館でも大切な文化を守らねばという熱意ある図書館員らの行動によって、本の疎開が始まります。
学徒動員でかりだされた中学生(今の高校生)が時には空襲にあい避難しながらも、大八車を押したりリュックを背負って、何十キロもはなれた場所まで何度も往復して大切な本を運んだのです。日比谷図書館では、図書館の蔵書だけでなく、貴重な古書を集めていた市民からも図書を買い上げ疎開させました。柳田國男の家へ本を持ちに行ったときの様子も証言されています。
人々がどんな思いで本を、文化を守ろうとしたのか、どんな人たちが本の疎開を実現させたのか、どんな本をどうやってどんなところへ疎開させたのか。果たして本は助かったのか。
本とは私たちにとって何なのでしょう。この40万冊もの図書の疎開を中心になって行った図書館人・中田邦造は石川県立図書館長時代、どのような思いで「読書」を広めていたのかもぜひ読んでみていただきたいと思います。

『3万冊の本を救ったアリーヤさんの大作戦』

『3万冊の本を救ったアリーヤさんの大作戦』詳細情報のページはこちら(別ウインドウで開く)

マーク・アラン・スタマティー/作 徳永里砂/訳 国書刊行会 2012年12月

2003年、イラク戦争が始まった頃の話です。イラクのバスラ中央図書館の司書アリーヤさんは、戦争になったらかつてバグダッドの図書館がそうだったように、すべての本が失われてしまうのではと心配でたまりません。図書館の本をかけがえのない宝だと考えていたアリーヤさんは、政府に図書館の本を安全なところへ運び出したいと働きかけますが、却下されます。なんとかしなくちゃと必死に考えた末、アリーヤさんは命の危険にさらされながら、自分の家へ、近所の人に助けてもらいながら近くのレストランへ本を運びます。そしてやはり図書館は爆撃され…。一人の図書館員の強い思いが、たくさんの本を救ったのです。
同じことを絵本にした『バスラの図書館員』(別ウインドウで開く)もあります。

※11月1日(日曜日)午後1時30分から、美術博物館の講堂で、図書館まつり映画会でドキュメンタリー映画「疎開した40万冊の図書」を上映します。
定員がありますので、中央図書館で整理券をお求めになってぜひご参加ください。

よむとす

「よむとす」とは“読む“と“~せむとす”(ムトス)を合わせた造語です。

飯田市におけるムトスの精神を生かし、読むことにかかわる活動の推進と支援を目的とした読書活動推進の合言葉です。