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よむとす No.68 山に生きる、山と生きる 2013年11月01日

[2017年6月8日]

ID:82

山に生きる、山と生きる

上郷図書館 宮下 裕司

最近では、登山をする女性を称して“山ガール”という言葉が一般化するなど、山に親しむ人が増え、登山が広がりをみせています。しかし、山は本来人が住む世界ではなく、大自然と体ひとつで対峙した時、人は無力なものです。今回は、そんな山の雄大さを感じさせてくれる本をご紹介します。

『サバイバル登山家』『狩猟サバイバル』

『サバイバル登山家』の著者、服部文祥(ぶんしょう)さんは、大学で登山を始めたのち、日本国内の高峰や難ルートを次々と踏破し、1996年にはエベレストよりも厳しいといわれるヒマラヤのK2に登頂するなど、輝かしい山歴を持つ登山家です。その一方で、登山という行為を哲学的に考え続ける思想家でもあるといえます。
服部さんは登山を続けていく中で、さまざまな道具を駆使するそれまでの登山方法に対して、山を登るのではなく、「登らされている」のではないかと疑問を感じるようになります。そして、よりシンプルに山と向き合うために、装備を極限まで削った登山スタイル、「サバイバル登山」へたどり着きます。
「サバイバル登山」とは、テントも持たず、ライトやラジオなど電池で動くものも、煮炊きのための燃料やコンロもなし、持っていく食料は米とわずかな調味料のみというもの。その他に必要な食料は、山菜や岩魚を現地調達し、時にはカエルやヘビも食べながら登山を続けます。もちろん山小屋は使わず、人通りのある一般的な登山道には近づきません。
服部さんは、この「サバイバル登山」を通じて「生きようとする自分を経験すること」ができると語っています。
そして、服部さんは「サバイバル登山」をさらに極めるために、狩猟の領域へ踏み込んでいきます。続く著書『狩猟サバイバル』では、食糧確保のために猟銃を持ち、シカやイノシシを自ら撃って、しとめたケモノをひとりで解体し、その肉を食べて山を登る様が記されています。その中で猟を説明するために次のような文があります。
「・・・登山経験はケモノの行動予想にはほとんど役に立たない。それは登山者と山との関わりが「線」だからだと思う。登山とは、登山道もしくは登攀ルートという線をたどって山頂という点にいたる行為なのだ。狩猟者は、尾根や谷がつくり出す山岳地形全体にケモノ道や寝屋、ヌタ場などの要素を配置して、猟場全体を「面」で把握している。」
経験したものだけが持つ山の奥深さを感じさせてくれる言葉ではないでしょうか。

『椋鳩十の本,第二巻,鷲の唄』『椋鳩十の本,第三巻,山の恋』

喬木村出身の郷土が生んだ偉大な文学者、椋鳩十先生。椋先生といえば、動物文学、児童文学の作家というイメージをお持ちの方が多いと思いますが、昭和の初めに椋鳩十のペンネームで文壇にデビューした際は、山窩(さんか)小説の作家でした。
山窩とは、山の放浪民といわれ、定住をせずに山中に天幕を張って暮らしていた人々です。山の中で木の実や動物をとって食料とし、ときには里へ下りて盗みも働いたそうです。
そんな山窩たちの山での暮らしを躍動感に満ちた文章でえがいた短編集『山窩調』と『鷲の唄』は昭和8年に出版されるとたちまち文学者の間で話題となり、椋鳩十は注目を集める新人作家となります。
そこに描かれた山窩たちは、ヒトというよりはケモノのようで、山から山への気ままな暮らしを続けながら、グループの中で女を巡っては争い、仲間同士で傷つけあうこともしばしば。そして、自然を相手にあっけなく命を落としていきます。
どの短編も、自らの衝動にしたがって求めあう男女の様や、山中でひとり自分の死と向かいあう老人など、山窩たちの命の輝きをまぶしく描いており、読む人の心を奪います。支配されることのない野生の果実のようなそれらの作品は、戦争に向かってひた走る当時の日本においては、あまりに自由で過激な内容だったため、ただちに発売禁止となってしまったのでした。
この山窩物語は全集『椋鳩十の本』の第二巻と第三巻に収められています。作品執筆当時、椋先生はすでに鹿児島の地で教鞭をとられていましたが、舞台となっているのは故郷の山々です。
伊那谷の山が秋色に染まるこの季節、椋文学で幻の山の民の世界にふれてみませんか。

よむとす

「よむとす」とは“読む“と“~せむとす”(ムトス)を合わせた造語です。

飯田市におけるムトスの精神を生かし、読むことにかかわる活動の推進と支援を目的とした読書活動推進の合言葉です。