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よむとす No.78 地蔵になった男、宮澤芳重 2014年04月01日

[2017年6月8日]

ID:48

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地蔵になった男、宮澤芳重

中央図書館 関口 真紀

みなさんは宮澤芳重という方をご存じでしょうか?松川町出身で飯田大学構想を夢見て図書館へ本を寄贈し続けるなどふるさとでの学びに熱い思いを抱いていた方です。4月30日に氏の生涯を描いたドキュメンタリードラマ「地蔵になった男」の上映会&座談会が行われます。それに先立ち、宮澤芳重氏はどんな方だったのか、学ぶことへの氏の思いとは何か、その手掛かりとなる本をご紹介いたします。

『人間 宮沢芳重―その反俗の生涯―』

松川東小学校の敷地内に「芳重地蔵」と呼ばれるお地蔵さまが建ち、飯田下伊那を見下ろしています。宮澤氏の遺志を語り継ごうと地元の人たちが建立しました。宮澤氏の遺志とは何だったか、地蔵建立のいきさつを教えてくれるのがこの本です。
宮澤芳重氏は明治31年、生田村長峰(現松川町)に生まれました。小さい頃から読書ばかりしており、学校を卒業して農業や郵便配達をするようになっても常に本を手放さなかったそうです。薪を背負って本を読みながら歩いていて道を踏み外し、崖から転げ落ちても本を読むのをやめなかったというエピソードが残っているほどです。
宇宙や星はいつできたのか、人間はどうして生まれてきたのか、学問を続けこのことをきっと解明してみせる、そう同級生に話した氏は、二十歳の時両親の制止を振り切って上京、苦学生活に入ります。当時ニコヨンと呼ばれる日雇い労務者となり、働きながら学問をするという生活をずっと続けるのです。稼いだお金はひたすら人のため学問のために使い、自分は常に困窮生活。学問を続けるうちに地元にいて大学レベルの学問を誰もが学べるようにと願った氏は、飯田に大学を設置する必要性を訴え、その準備のため飯田市立図書館に本を寄贈し続けます。その本は今でも「宮澤文庫」として中央図書館で利活用されています。今度の上映会では「宮澤文庫」の見学会も予定しております。文庫の目録はホームページ「貴重資料の紹介」でご覧いただくことができます。
また、小さい頃から天文学が好きだった氏は大学構想の中で飯田高校に天文台を設置することを切望し、その資金を寄付し続けます。念願かなって昭和33年、飯田高校に天文台が設置されました。現在は校舎建てかえの折に新しい天文台に代わってしまいましたが、氏の望遠鏡は松川東小学校に大切に保管されています。
この本は氏の功績のみでなく、当時「奇人」扱いされていたことまで述べられています。「奇人」と思われるほどの強い意志を持ち、我が身を削ってふるさとの学問に熱い思いを寄せた氏の衝撃的な生き方をぜひ知っていただきたいと思います。(現在絶版。絶版の本も読めるところが図書館の醍醐味ですね。)

『素渦 宮澤芳重追悼文集』

1970年に氏が亡くなって3年後、松川町教育委員会で追悼文集が発行されました。文章を寄稿した方々約40名。松川町教育委員会で予想していた人数より多かったようで、それだけ氏は交友が広く、氏の生き方に感銘を受けた人が多かったことが想像されます。池田寿一氏、小塩完次氏、村沢武夫氏、西尾実氏といった方々も寄稿されています。今度上映される「地蔵になった男」の台本も掲載されていますし、氏の最後の居住であった東京根津の住宅に残された遺品の目録も掲載されています。
あとがきに氏の生涯と業績をひとことでいうと「特異にして偉大」と述べられていますが、私は『人間宮沢芳重』を読んだ時には「特異」を先に感じて「偉大」さがわかりませんでした。我が身を削ってまでしなくてもという思いがありましたが、この本を読んで氏と交友のあった方々からの思いを知って「偉大」さがわかってきた気がします。
『人間宮沢芳重』とはまた違った面を感じることができますので、あわせて読んでいただくことをおすすめします。そして、4月30日の上映会にみなさまがお越しいただけることを心からお待ちしております。

よむとす

「よむとす」とは“読む“と“~せむとす”(ムトス)を合わせた造語です。

飯田市におけるムトスの精神を生かし、読むことにかかわる活動の推進と支援を目的とした読書活動推進の合言葉です。