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松尾亨庵史料とは

[2017年6月26日]

ID:326

松尾亨庵史料とは

■松尾亨庵史料とは

昭和63(1988)年に龍江の松尾家より飯田市立図書館に寄託された、松尾亨庵関係史料。
内容は、医学・漢学漢詩関係刊本、医学・漢学関係手稿、写本、雑書等。
寄贈のきっかけを作った研究者川村肇氏は、亨庵についてとりあげた『在村知識人の儒学』(思文閣出版 1996年発行)を出版している。

■松尾亨庵プロフィール

江戸後期の医師、文人。1795(寛政7)〜1844年(弘化1)。伊那郡今田村(現飯田市)の医師松尾元順の三男に生まれ、通称千秋、斯行、亨庵と号した。 俊敏奇童といわれ、15歳の時、尾張、伊勢に出て奥田巽亭の門に入り漢籍詩文を学び、河田岐山に医学を学ぶこと8年、さらに江戸に出て伊藤端山に医術を学び文人と交わり経史と詩文に励んだ。 文政年間(1818〜29)に村内に塾を開き、さらに時又八幡に医業のかたわら塾を開いた。天保の飢饉の時には家産を傾けて窮民を救った。 南山騒動にも陰で応援したといわれ、十三経の私注に力を注いだ平栗墨翁、太平蘆平、森本真弓、片桐源一、岡島良致らと交わり門人にも著名人が多い。子はなく、大願寺に門人らの建てた頌徳碑がある。(大沢和夫)
『長野県歴史人物事典』より