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松澤文庫解説

[2017年6月26日]

ID:323

松澤文庫解説

松澤コーナー 解説

松澤 太郎氏 経歴(元飯田市長・教育長・図書館長)

1912年(大正元年)12月26日上飯田村東野、現在の飯田市宮の前に七人兄弟の長男として生れる。
 旧制飯田中学、旧制松本高校を経て京都大学工学部機械科に入学。高校・大学の学生生活の読書では寺田寅彦の随筆に多分に影響を受ける。本人自身も寺田寅彦の随筆には全て目を通し、その後の読書人生が開花したと語っている。
 大学卒業後、1938年(昭和13年)4月石川島芝浦タービンに就職。同級生は大企業に就職をした者が多かったが、自分には技術屋は似合わない、企業の一歯車としてだけで会社人生を終わりたくない、将来は会社経営や管理の方に行きたいという思いがあったため、小さな企業なら学べるチャンスがあると石川島芝浦タービンに就職を決める。
 就職後約一年足らずで軍の召集があり会社を離れたが、わずかの間に会社の上司であり、その後石川島播磨重工業社長、経団連会長になった土光敏夫氏に出会い、技術屋としても、会社の経営者としても立派であった彼に人生の強い影響を受ける。
 仕事を離れ、各務ヶ原の陸軍航空隊に入隊、所沢陸軍航空整備学校、八戸陸軍航空整備学校と陸軍を歩き八戸で召集解除となり、松本に新しく出来た石川島芝浦タービンに職場復帰。
 1941年(昭和16年)10月、緑夫人とは所沢陸軍航空整備学校当時に結婚。
 1945年(昭和20年)8月、終戦を機に会社を辞め人生の出直しを決める。旧制市立松本中学校で教員を経験したり、技術屋として芝浦ミシンに勤めたりしたが、縁あって1955年11月、飯田市の嘱託職員となり飯田工業高校の設置に従事。
 1956年(昭和31年)7月には43歳で飯田市教育長を引き受け、飯田市立図書館長も兼務した。その後1964年(昭和39年)4月より飯田市総務部長となる。
 1972年(昭和47年)10月、飯田市長に就任し1988年(昭和63年)10月の退任まで4期16年を勤めた。その間には飯田市立図書館の建て替え、飯田市美術博物館、日夏記念館、柳田国男館の建築をし、人形劇カーニバル(現在の人形劇フェスタ)の開催を決めている。読書家としても知られており、著書も多数ある。2007年3月11日逝去。

 松澤太郎氏の主な著書
  『風越山の麓から』(1991年)  『野菜の花』(1994年)
  『そば談義』(1996年)      『読書雑記』(1997年)
  『道草』(1998年)         『草もみじ』(2003年)

 松澤太郎氏をもっと知りたい方へ
  『飯田市歴史研究所年報 1』<オーラルヒストリー 松澤太郎さんに聞く>
  『伊那谷情報人物事典—人物編—』