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市岡所蔵文書及び古書

[2017年6月26日]

ID:236

市岡家文書及び所蔵古書とは

市岡家の江戸時代から明治初期にかけての貴重な文書1004件及び書籍178件。
 市岡家の初代一智(かずとも)は木曾より伊那郡大島村に居を移し、さらに延宝7年(1679)頃、飯田松尾町に移住し、 「糸屋」と号し製紙・元結業を創始した。二代目元智(ちかとも)から美濃の久々利藩千村家に仕官し、後、千村役所の目代役や代官を勤めた家系である。

 市岡家資料は、11代目勝太郎氏より、飯田図書館に寄贈されたものと、美術博物館が収集した書籍・画・茶道及び短冊などで、 現在飯田市立中央図書館と飯田市美術博物館とで分担して所蔵している。
 5代目智寛(ともひろ)は『伊那群菌部(いなぐんきんぶ)』を、6代目暁智(たかとも)は『本草図彙(ほんそうずい)』を、 それぞれ丹念な実地調査に基づきこれらを著し、本草学上貴重な資料(飯田市美術博物館所蔵)である。
 本草学以外にも、医学・天文学・算術・地理学・茶道・華道・和歌・漢学・兵法・禅など市岡家の博学さは広範囲に及ぶ。たとえば、 医学では飯田の医師木沢邦英(きざわくにひで)や本草家土岐孔安(ときこうあん)らの教えを 受け智寛(ともひろ)がまとめた『薬方輻湊集(やくようふくそうしゅう)』や暁智(たかとも)の書き記した『治用療材(ちようりょうざい)』、 算学書の抜粋・聞書きや備忘録ノートである『算学秘伝』『開宗算法』などがある。また、市岡家が交流した名士の芳名帳 『名残草(なごりぐさ)』などは国学者植松茂岳(うえまつしげおか)の序文があり、市岡家を訪れた人々や来客のもてなしや文化を知ることができる。

 これら文書・書籍は市岡家に累代伝えられ保存されてきたもので、飯田の文化を語るうえで非常に貴重な資料といえる。

 なお、新たに13代 尚子氏から飯田市美術博物館に寄贈された、明治3年から大正10年までの資料22件157点の目録は、 『飯田市美術博物館 文書目録 10』に掲載されている。