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よむとす No.291 伊那谷に想う

[2023年3月1日]

ID:974

伊那谷に想う

上郷図書館 小島 由貴子
リニア中央新幹線駅が建設される国道153号線沿いは建物の立ち退きが進み、通るたびにその姿を変えているのに驚かされます。伊那谷に新しい時代の足音が聞こえてくるようです。
「温故知新」ではありませんが、このような時だからこそ豊かな自然や文化、温かい人情など、昔から大切に受け継がれてきたものを再認識することが必要かもしれません。
伊那谷を今よりもっと好きになれる本をご紹介します。

『山をゆく歌』

『山をゆく歌』(別ウインドウで開く)
宮下 正美/著 高森町 2015年2月(改訂復刻)
著者の宮下正美さんは、旧市田村(現高森町)出身の児童文学者で、生まれ育った伊那谷を舞台に数多くの作品を残されています。この『山をゆく歌』は昭和33年に発行され、すでに絶版となっていましたが、子どもたちに故郷の良さを再発見して欲しいと復刻版として刊行されたものです。
物語は大正時代の終わり頃のお話です。市田村に住む幼い兄弟が、東京から帰省していた叔父に「鬼面山」の不思議な話を聞いたところから始まります。山肌に見える鬼の表情が、見る時や人によって変わり、何かを語りかけてくれるというのです。
村からは鬼の顔の半分しか見えないため、二人は鬼の顔の全貌が見たいと親に内緒で山に登ります。ところが夢中で登るうちに山の中で迷ってしまうのです。何日にもわたる山での野宿、深い暗闇、目もくらむような絶壁、そして熊や山犬との遭遇と絶体絶命のピンチが兄弟を襲います。臨場感あふれる描写にハラハラドキドキの連続です。
私の心に残った場面は、木曽の奈良井で保護された二人のために、市田村の人々が朝暗いうちに起きて遠い道のりを飯島駅まで迎えに来ていたところです。子どもたちの無事を村中で喜び合う、そんな情に厚い伊那谷の人々の様子がうかがえます。
この作品は著者の実体験をもとに書かれたもので、山と共にあった昔の伊那谷の暮らしを知ることができます。時代は変わり、山と私たちの生活が結びつくことも少なくなりましたが、悩んだ時、迷った時、ぜひ鬼面山を探してみてください。夕日に染まる鬼の顔は時に優しく、時に厳しく語りかけてくれることでしょう。

『飯田線 1960~90年代の思い出アルバム』

『飯田線 1960~90年代の思い出アルバム』(別ウインドウで開く)
牧野 和人/解説 アルファベータブックス 2022年10月
1923年、伊那電気鉄道(飯田線の前身)の辰野~飯田間が開通しました。今年は山吹駅から飯田駅までの駅が開業100周年を迎えます。この本は飯田線の1960年代から1990年代の写真や資料を通し、その歴史や伊那谷の風景を楽しめる一冊です。
秘境駅や絶景が人気の飯田線、その前身である三信鉄道(三河川合~天竜峡間)の古い路線図をみると、蛇行する天竜川の流れに沿って急峻な場所を線路が走っていることがわかります。以前、合唱劇「カネト」でも紹介されましたが、数多くのトンネルに工事の苦労が偲ばれます。
かつて飯田線は「動く国電の博物館」と称されていました。ツートンカラーの配色は同じでもさまざまな顔の電車が構内に一同に並ぶ写真を見ると一目瞭然です。都会をさっそうと走っていた電車たちが引退し、第二の人生としてこの伊那谷に集められたのです。残雪のアルプスを背景に新緑の中、のんびりと走る姿には感慨深いものがあります。  
ところで、みなさんは飯田線にどんな思い出がありますか。私は湘南カラーと呼ばれるオレンジとグリーン色の電車を見ると、かつての市田駅前の賑わいを思い出します。市丸の謡う「天竜下れば」がホームに流れる中、スゲ笠をかぶった多くの天竜舟下りの観光客が降り立ったものです。貨物列車の写真では、山積みされた材木がクレーン車で詰め込まれていく様子を飽きることなく見ていたことや、「開かずの踏切」の前で川向うに帰るみなさんと一緒に遮断機が上がるのをじりじりしながら待ったことなど懐かしく思い出されます。その貨物列車も中央道が開通し、物流の変化で見られなくなりました。
伊那谷の生活を支えてきた飯田線とその風景をいつまでも大切にしたいものです。この本を開いて思い出の場所、時代にタイムスリップしてみてください。

よむとす

「よむとす」とは“読む“と“~せむとす”(ムトス)を合わせた造語です。

飯田市におけるムトスの精神を生かし、読むことにかかわる活動の推進と支援を目的とした読書活動推進の合言葉です。