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宮澤文庫とは

[2017年6月25日]

ID:317

宮澤文庫

宮澤文庫とは

生涯独身、戦後亡くなるまでニコヨン(日当240円)の生活を続け、郷里に大学建設の夢を描いた宮澤芳重が、飯田図書館へ送り続けた約1200冊の図書。自然科学の本が多い。図書館では送られた図書を宮澤文庫として、雑誌を除く約800冊を市民に開放してきたが、紛失破損をさけるため現在は書庫に収容。しかし氏の意志を尊重し閲覧貸出のできる資料となっている。今では伝説化し、毎年遠方からお参りをするかのように文庫を訪ねてくる人々がいる。

宮澤芳重プロフィール

(みやざわ・よしじゅう)1898〜1970
 ニコヨン学者の夢地蔵になった芳重として広く知られる。下伊那郡松川町生田に生まれ、徴兵検査不合格の後上京。職を転々としながら苦闘生活の中勉学に励む。戦災の混乱の中伊那谷へ帰郷。戦後再び上京。東京都の失業対策事業従業員(ニコヨン)となり、ゴミ拾いの仕事に従事する。仕事の合間は来る日も来る日も時間を惜しんでの学習、読書、図書館と古書店めぐりが繰り返された。そんな中、郷里に大学設置を夢み、困窮の生活の中にあっても郷里へ本を送り続けた。昭和33年には寄付と働きかけによって、飯田高校へ天文台の設置が実現した。入院する前日までニコヨンと学生を続け、亡くなった後遺体は、本人の意志で東京大学へ献体された。